真鶴町、70歳おめでとう!!
当『まなNAVI』の一周年記事で、「真鶴町は今年で70周年」とご報告いたしました。同時に町で記念の展示が始まったので、近いうちにその様子もレポートします……と予告しました。会場は町民センター。展示期間は10/25(日)までです。

ちなみに70周年というのは、昭和31年(1956)の9月30日に「真鶴町」と「旧岩村」が合併して、今の真鶴町の姿になってから70年、ということになるそうです。明治や大正の文学作品には「岩村」という名前が登場していますね。

墨で塗られた江戸時代の地図
展示の名前は『真鶴町指定重要文化財展』……会場は町民センター2階の展示スペースで、9月29日からの後期展示では、真鶴でいちばん古い村の記録や絵図が並んでいます。町が指定した重要文化財は112件。その多くは、町民が自分たちで地域の歴史を調べる「真鶴町郷土を知る会」の活動から見つかったものです。

まず目に入るのが、ガラスケースに長〜く広げられた巻物「真鶴村書上ヶ帳」。寛文12年(1672)、当時の小田原藩主・稲葉正則の命令で作られた記録で、村の土地や産業がこまかく書かれています。いわば江戸時代の「村勢要覧」(村の人口や土地、産業などをまとめた資料)です。会場には現代語訳が載った町の解説本も置いてあって、自由に読めます。

そのとなりに掛けられているのが「真鶴村絵図」。町に残るいちばん古い絵図で、寛政5年(1793)、海の交通路を見回りに来た幕府の勘定奉行(幕府のお金や領地を管理する役職)・久世広民に出した絵図の控えです。岬の形や港、田畑や山林まで、色つきで描かれています。
よ〜く見ると、建物のところどころが黒い四角で塗りつぶされています。これは戦後、GHQの指示で寺社などの描写を墨で消したものだと考えられています。

ほかにも、江戸時代のはじめに真鶴に移り住んだ禅僧・風外慧薫の「布袋図」(七福神でおなじみの布袋さまの絵)や、風外が生前に造った「寿塔」(生きているうちに自分のために建てるお墓の塔)の石も展示されています。
頼朝の観音さまと、町の会議録
いちばん驚いたのが「伝源頼朝の観音像」。手のひらに乗りそうなくらい小さな像が、筒のような台座に収まっています。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によると、石橋山の戦い(頼朝が挙兵してすぐ、平家方に敗れた戦い)に敗れた頼朝は、逃げる途中で髻(もとどり。髪を頭の上で束ねたところ)の中に納めていた小さな観音像を巌窟(岩の洞窟)に隠したとされています。真鶴の五味家では、この像を頼朝から授かった家宝として、代々大切に守ってきました。
そして昭和4年(1929)、「頼朝公の遺物として永久に町内に保存すべき」という理由で、真鶴町がこの像を買い取りました。そのときの町議会の会議録も、となりに並んでいます。議題は「宝物買入ニ関スル件」……町ぐるみで守ったんですね

ところが平成17年(2005)、神奈川県立歴史博物館の学芸員による鑑定で、その制作は江戸時代と推定され、頼朝の時代の仏像ではないことがわかりました。それでも、伝承と、それを大切にしてきた真鶴の人たちの歴史を伝える文化財として、今も守られています。
1階では写真展も!!
2階を見終えて階段を下りると、1階には昔の真鶴の写真がずら〜っと並んでいました。写真展もやっているとは知らなかったので、歴史オタクな私にはうれしいオマケです。


